でも、心がゆたっとした感じになっているので、なんとなく心地よい。
時々猫が、そばに来て甘えてくれたりすると、それだけでもう少し生きられそうだなんて、笑ってしまう。
そんなことを思うほどに憂鬱な国と世界・・・
シリアで病院が爆撃されて、27人が亡くなったとのこと。
うち2名はお医者さん、あとはけがをして横たわっている人や、そこに付き添っていた人、さらには諸々のスタッフの人々か。
ああ、もう末期的な世界。殺害に次ぐ殺害、殺害のたびに、どこかで消費された武器を売る人々が高笑いをするというおぞましい世界。
うまいものをいやというほど食べて、キラキラした服を着た人々が、金に飽かせて高度な武器を作り、
それを売ればこれ以上にないほどの割のいい商売になるという。
生きるために生まれた人間が、死に際の苦しみと共に、死んでいくために生まれたような事態が日常的になっている世界。
さて、熊本の地震活動はまだまだ予断を許さない。川内原発は相変わらず、止まってはいないし、
九州ばかりでなく、日本中の人々、世界中の人々が悲劇的な状況に陥れられる可能性は、
日々、増していくことはあって、減っていくことなどありえない。
でも、泣いてばかりはいられない。毎日毎日、信じがたいような現実が連続していくことにまいってしまったら終わりだから、
なんとか、細々とでも、怒りを顕わにして、言うべきことはきっちりといいながら、暮らし続けていこうと思う。
外は晴れている。5月の光が眩しいほどだ。