公立高校の講師をずっとやり続けてきた。
特に関東から、現在の土地に移住してきて、暮らしをたてていくために、ずっと講師の仕事をやってきた。
途中で、その仕事にありつけないこともあった。
「空き」がなければ、補充の必要もないから、就業がかなわずに、他の仕事に就くことになった。
生きていくというのは、大変なことだ。
最もそんなことはわかり切ったことで、いまさら、いうことでもないけれど、いわゆる「安定した人生」を
選び取らないで歩いてきた私には、「講師」という身分は、ふさわしかったのかもしれない。
なぜ、そんな生き方をしてきたのかと問われたら、
「安定した人生」と引き換えに、自らの思想や、信条を曖昧なものにしてしまいたくなかったからと答えることになるだろう。
「自らの思想や信条」などと、特別に確立したものがあったということではない。
そうしたものを形作るためには、楽な暮らしや安定した暮らしが邪魔になると思っていたということだ。
抽象的な言い様だが、あくまでも純粋な精神の土壌の上で、生きることの意味や、人間の幸福や、
人として歩むべき道についてなどを考えながら、自らの思想や信条を形作っていくことが本当だろうと思っていたということになる。
だから、あえて「不安定な身分」のなかで暮らしを立て、そして自ら、その大変さを実感してきたということか。
だが、現実は生易しいものではなかった。
ただし、そういう思いは、同じ立場に立たされた人との共感を可能にして、社会の理不尽さを身をもって引き受けることになる。
あと一週間で私は解任される。臨時的任用講師の事例が3月28日までなのだ。
その後3日間失職して、4月1日から新たな年度の任用が始まる。
公的予算の削減のためだという。
3日間の失職によって、一昨年までは、三日分の国民健康保険料としてほぼ4万円を支払った。
こんな事態はまだまだいい方だろう。
暮らしていくこともできない薄給で、非正規公務員として働いている人は本当にたくさんいる。
生きさせろ、私たちは人間なのだ・・・。
こういう叫びを、決してやめないこと。静かに、そんなことを思っている。