3月なんて、何も特別な月ではない。ただ、公的な機関では4月が年度の最初になり、
翌年の3月にその終わりが来るというだけのこと。だから、今、その年度末を迎えている。
もう、今年こそはやめようと思っていた定時制での仕事が、また引き続くことになりそうだ。
校長にはそういう希望を出していたが、かなえられなかった。
振り返れば、いつもいつも、まっすぐに歩いてきた。歩くといえば、まっすぐに歩く事しかできなかった人生。
だから結果的に、いつも、命がけになる。気づけば、神経をすり減らして、泣いたり、怒ったりしながら、
結局、自分の中ですべてを処理して終わらせようとしてきた。それで、10年を隔てて、二度も癌になったりした。
そんなふうでない生き方があるのなら、学んでおけばよかったなと思ったりもする。でも、それはいかにも愚かな言いよう。
まっすぐに歩くのが私、だから、恋をして、その相手と40年も歩いてくることができた。
私の人生は、波乱の中でこそ、私らしい。
定時制で、生きるにはあまりに大変な若者たちと一緒に暮らすことは、生易しいことではない。
だからいっそう、私の仕事はそこにあった。
でも、疲れてしまっていたのも事実だ。 もう、やれることはやってきたと、そう自分に言い聞かせて、
その場を立ち去りたかったのも事実だ。
このどうしようもない疲労感は、まっすぐに歩いてきた私の生きざまの故だったと思っている。