就職内定の通知がくる・・・

 朝から鍼灸医へ行ったり、美容室へ行ったり

 何やかやと忙しくしていて、帰宅は昼過ぎ。

 心残りのない人生を歩くために、家族一緒の食事時間を

 大切にしている私は、予定が立たないときの食事は

 済ませておいてもらうことにしている。

 そういうわけだから、今日のような日は

 すでに息子は昼食を済ませたものと思っていたのだった。

 ところが、いろんなことをやり終えて帰宅してみると、

 息子が、玄関で私を待っている。

 「食事は?」と聞くと「まだ」と答えるではないか。

 実は、彼の就職の面接は3日前の11日、

 1週間後のはずだった面接の結果が、今日届いていたのだ。

 「内定」ということだった。

 本人としては 飛び上がって喜んでもいいようなものだったが、

 何かこう、えもいわれぬ表情をしている。

 もちろん、嬉しくないのではない。

 20代の若者のように、きっと喜びと不安を噛み締めていたのだ。

 彼のこれまでの道のりを、一緒に歩いてきた私には

 そんな思いが、よくわかる。

 いじめられっ子で、不登校だった。

 それからの道は、まさにいばらの道。

 傷ついた心はおそらく一生癒えないままだろうと思わせた。

 いろいろわき道に逸れて、何とか今日まで歩いてきたというのが

 本当のところだ。

 だが、彼をダメな奴だと思ったことは一度もない。

 彼が持つ資質のよさを疑ったことも、もちろんない。

 ただ、苦労したし、させられてしまったのだ。

 まだまだ、これからだって何が起こるかわからない。

 でも大丈夫だ。ここまでくると不安などない。

 明日のことは思い煩うなと、聖書の言葉の正しさが身に染みる。

 人間は実はいたってシンプルな心の構造をしている。

 一人では決して生きられず、愛し愛されて生きていきながら

 歩いていく道を一歩一歩決めていくしかない。

 かっこよくなど、正しくなど初めからあるものか。

 間違える。しょっちゅう間違えながら

 人間であることを忘れずに、愛することを思い出すしかない。

 自分を愛するように隣人を愛せよという

 またまた聖書の言葉が心に浮かぶ。

 さあ、まずは歩き出そう。息子よ、生きていこう。

 きっと君は生きていける。

 君の支えを待つ人のことを思って前へ進もう。