暑い…

 特別支援教育という言葉が 

 盛んにつかわれるようになって久しい

 心身にハンディのある子どもの教育を「特殊教育」と

 呼んでいた時期がずっとあった

 それが突如 みんな一緒に教育を受けるんだと

 特別に支援が必要な子ども達とは

 どんな子どもなのかが説明されて 

 その十分な理解の上に立って 

 みんな一緒に生きていける教育現場を

 作ってやっていきましょうと

 ここのところ ずっと叫ばれつづけている

 いや ちょっとまって・・・

 そういう言い方には

 裏がないのかって 私は思ってしまっている

 特別に支援が必要な子どものことを理解して

 いわゆる「普通」の子どもたちと一緒に暮らしていける

 そんな教育現場は 理想的だと思ってはいるが

 それならなぜ 教育現場の 子ども達の苛烈な競争は

 昨日も今日も同じような状況なんだろう

 お勉強ができる子は お勉強ができない子の上にいて

 そういう上にいる子を 先生も 親も 

 とっても大事にしているんだろう

 特別支援の大切さと そういう話とは

 全然違うことなんだと いわれそうだけど

 いや 違ってはいけないんだ

 共生教育って 実は 人間をしっかり見据える営み

 人間の本質を しっかり確認する現場での教育

 すべての子どもたちに序列なんか作らない

 崇高な理念の上に成り立つものじゃないのか

 申し訳ないが どこか 胡散臭いのだ

 なにか違うって思ってしまうのだ

 全部否定しようって云うんじゃない

 能力が高くて 出世していきそうな子は子として

 そこそこの能力の子たちと ハンディのある子が

 一緒に生きていくという程度の話だったら

 ごめんこうむりたいと思う

 この国への徹底した不信 この国の教育行政への

 絶望的な思いを深めているなかで

 特別支援教育を叫ばれても 

 どうも 折り合いが付けられないままなのだ