(南の島通信)8



 県議会議員選挙投票日。私が住んでいる地域では4人が出馬して、3人が選ばれる。家族3人はみな、棄権せずに投票に行った。

 出馬した4人はすべて保守系で、県政に対して、一体、何をやろうとしているのか、具体的には、全くわからない人たちだったから、少ない情報を頼りに、よりましな人に投票するということしかありえなかったのだ。

今回は特に、共産党社民党系の候補者は全くいなかったので、私たち家族のように、保守系候補に投票することなど考えられないという人たちにとっては、「棄権する」ということは、十分にあり得た。

だが、そんな事はいっていられない危機的な状況にいま日本はある。安倍を退陣させなくては、明日何が起きるのかわからないという崖っぷちに来ているのだ。

 しかし、そうした認識は、ある人にはあるが、ない人には全くない。もう、日本は落ちるところまで落ちて、そこから何かを始めるしか他に道はないと思う。

 それにしても、これまでの既成政党の枠組みで、「政治」について考えることを止めなくてはならない。この国では、「政治」は利権の宝庫としか映らないようだ。
本来「政治」が、より多くの人々の、一人一人の暮らしを、まっとうなものにさせ、戦争のない平和な国を作り上げることだとは、認識されてはいないらしい。

 田舎にはよくある、世話になった人に親戚中が投票するという構図。今回もそうなるのだろうか。だが、世話をしてくれた、心やさしい候補者が、日本国憲法を憎悪し、武器商人たちを世界に連れ歩き、戦争を希求する安倍を支持している張本人だとは、まったく思っていないらしい。

 今回の統一地方選挙では相変わらず、投票率は下がり続け、無投票で議員になった人々も、少なくないという。

 数えきれないほど投票してきた。そのたびに何ほどかの期待をしつつ、今日まで来たが、いよいよ、心の底から絶望して、その後に希望をつなぐことしかないのだと思い始めている。

 だがしかし、沖縄で闘いぬいている人々のことを、忘れてしまっているわけではないのだ。希望を希望として、決してあきらめない沖縄の人々のことをいつも思っているのだけれど。