街に出る
行くところなどない でも 街に出る
それはささやかな気分転換
あるスーパーへ行く そこで 一杯150円の紙カップのコーヒーを飲む
小さなお菓子を一緒に頼むと 200円を払う
なんとささやかな なんとひっそりとした時間の過ごし方か
それから スーパーの2階にのぼって
衣料品コーナーを あちこち歩いてみる
安いものが そこここに置かれている
今日の糧に追われている人たちが
一円でも安いものを 買おうとする
もちろん 私もその一人だが もうやめた
あれこれと ほどなくウエスになるようなシャツを買っても
なんだか 淋しくなるだけだ
家の中には そんなふうに買い求めたものが
箱の中に詰まっていたりする
これが 資本の流れなのだ
低賃金の労働者が 一日の糧を求めて
ミシンに向かい 縫ってくれたシャツは
駄菓子を買うような値段で 買うことができる
だから 大量なのだ 資本主義が
次々に作りだしていく製品は
そう遠くない頃に まちがいなく ゴミになるのに
だからまた作る そして売られ
人々はそれを買って 家の中にため込んでいったりするだけだ
着るものは 人々の体も心も包んでくれる
それは作り手と 使い手の 心のつながりにも関わる
ああ 貧しい人々を バカにするな
だれが 儲けているのだ
作っている人と それを使う人が
幸せにならなくては おかしいじゃないか
本当に丹精したものが それ相応の値段で売られ
それを買って 使う人々も
買いたい欲望などを棄てて
必要な分だけ、心が安らぐような気にいったものを
買い求めて 永い年月それらを愛して使い続けられたら
どれほど幸せなことだろうと思う
そんな社会がきたらいい
そんな社会が人々を幸福にすると
やっぱり 思ってしまうのだ
これはしかし この国の いや世界の
経済の仕組みに対して いやだという強い意思
貧しい民の一人として いやだというしかない