「説話文学」にふれて・・・

 「説話」とは「神話」や「伝説」などのことをいう。それでは「説話文学」といったら、そうした「説話」を素材にして、文学的にまとまった内容に仕上げたものということになる。
 文学的に仕上げるというだから、そこにはどういう目的で、どんな作品にしたいのかという仕上げる人間(達)の意図があるはずなのだ。
 『十訓抄(じっきんしょう)』というのも説話文学の一つで、1252(建長4)年に成立したらしい。時代は執権北条時頼の治世、成立の翌年には日蓮日蓮宗を開いている。
 書名の「十訓」とは十の教訓のこと。子どもたちを教化する目的で揚げられた一から十までの各々の教訓が導き出されるような適切な「説話」を選び出し、物語り仕立ての教訓書を作り上げたのである。
 その一話が「博雅の三位」。醍醐天皇の孫で源博雅という笛の名手が登場する。その笛の音があまりに見事で、夜更けの平安の都に響き渡り、どうやら「鬼」までもそれを聞きつけて博雅と対抗するかのように、人間の姿になって巧みに笛を吹きながら博雅の間近に迫ってきたりする。
 そんな状況が描かれているだけの短い話だが、とりあえず読者は「博雅」が「鬼神」をも感動させる卓越した笛の技量の持ち主であることを理解する。それではこの話は「十訓」のどの項目に当たるのか。
 「才能芸業を庶幾すべきこと」という項目がある。すなわち「管弦の技能に優れるように強く願って努力しなさい」ということだ。それならば、これを読むのは貴族の子弟ということになるのだろう。
 現代でも資産家の子弟が子どもの頃から、ショパンやリストの伝記を読まされて、将来は名ピアニストになるようにと親に後押しされるのと同じようなものか。
 もっとも『十訓抄』成立の背景には、日々衰亡してゆく貴族社会があって、後進の子弟たちに貴族に教養を身につけしっかり生きよというメッセージが込められていたのではないかともいわれている。
 若者を教化するのに、「説話」を素材として「物語」を創作するというやり方は、古くからあったのだと改めて思うが、この手法は、現代でもまだまだ有効だと、思いがけず新鮮な感覚に浸ってしまっているところである。