ふるえるような 悲しみと怒りと

『標的の村』を視る
沖縄の高江村の映像
アメリカの占領下以後もずっと 
最後まで犠牲にさせられつくした高江村
それはもう 高江村の人々を
人間と思っていないような 残忍さで
村を軍事訓練の舞台にしてきたアメリカと日本政府の歴史
何にも知らなかったじゃすまされないけれど
でも 何にも知らなかったというしかない
若かった頃 「アメリカ帝国主義は日本から出ていけ」と
いくども いくども叫んできたけれど
やがて時間が流れて 自分の中から
そういう言葉が 消えていっちゃった
その間にも 沖縄では 
くり返し くり返し惨事が続いていたのに
私は私の中のかってな時間を生きていたんだ
人々に知らせないことは知らせない
日本のマスコミは そういう役目で今日まで来たんだ
子どものように くやしくて 舌を嚙んでいる 
自分の無知  そういう間に
どれくらいの人が犠牲になったのか
ほんとうなら 怒りを伝え 悲しみを報道して
西から東へ 北から南へと
人々の連帯の 共感の 支援の輪を
広げて 強くしていくことが 役目のはずのマスコミが
何にも伝えず 孤立した地域の悲劇は 次々に起こるわけ
映像の中の 防衛施設庁の職員の言動
給料のためなら なんでもやるんだ
命がけで 工事阻止をする人々を
怒鳴りつけ 仕事を強行する
「あ あれ 私の父だ。なんで、地元の人をどなっているんだろう」って
あんたの娘や息子は 思わないか
あんたは 子どもらに 正義を語ったりするのかな
正しく生きよと 言っちゃったりするのかな
高江村にオスプレイのヘリパットができる
オスプレイの搬入 飛行訓練開始
この国は 戦時下の占領地と どこも違わない
占領地日本の姿は ずっと昔からそうだったんだけれど
スクリーンにかかっていたようなモザイクが
もうどこもかしこも 壊れてしまって 
はっきりした姿を現してしまっている
知らなかったなんて 馬鹿みたいだけれど
平和な国という幻想を 
わたしだって見ていたんだから
うつむくしかないな
でも もういく年生かされるのかしれないけれど
戦いを 見て見ないふりだけはできない
そんなふうにして この世を終わりたくはないな