徒然草雑感・・・

徒然草』の第15段の冒頭は次のようだ。
 「いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ目さむる心ちすれ。」なるほど、兼好は「旅に出かけることは目が覚めるような気持がする」と思ったようだ。生き生きとした非日常が展開されてワクワクするということなのだろうか。
 あちらこちらを見て回り、特に田舎びたところは見慣れていないのでいろんなことが珍しくて面白いと、さらに話は続く。
 そればかりではない。旅先から都の我が家へ、いろいろ指示を出して手紙などを送ったりするのも何とも面白いという。
 さらに旅先では、持っていた小道具までも、常よりは立派に見えたり、何かの技にたけている人や、器量の良い人などが、ますますよく見えると云うのである。
 そのうえ、一般の人が寺社に籠ってみたりする事だってできるのだから、旅の興味は尽きることはないと、付け加えられている。
 この章段は、旅の魅力について、具体的に、素朴に語られている。しかし、現実の旅行環境は、もちろん新鮮な「非日常」ではあっても、常に死の危険と隣り合わせであったに違いない。
 「危険」な状況からくる緊張感が、好奇心に転嫁され、それが喜びにもなっているかのように読み取れるが、時代を超えて旅の本質を言い当てているように思う。
 松尾芭蕉の「奥の細道」は、『徒然草』から300年後のことだが、「そぞろ神」に誘われた芭蕉も同じ心境だったのかもしれない。