ついこの間、ビデオを見た。題名は確か、「ハチ公物語」だったかな。
仲代達也と秋田犬「ハチ」の愛の物語、渋谷の駅前の忠犬ハチ公に由来する
多分 本当のお話・・。その映画は 数人の生徒と一緒に見た。
泣いた、私もボロボロ、もちろん 生徒たちも、顔を覆いながら・・。
周知のとおり、死んでしまって、帰ってはくるはずのない自分の主人の
大学教授を ひたすら、生前のころのように、渋谷駅の改札口で待ち続けて
その年月も、なんと10年という長い間。
ついに ハチは改札口で死んでゆく。まるで亡き主人が迎えに来てくれたか
のように、頬笑みさえ浮かべて、真冬の雪の中で冷たくなってゆく。
それが映画のラストシーンだった。その作品を見た晩、考えたことは、
「忠犬」という言葉の貧しさだ。
「忠犬」という言葉は「忠義」という言葉と重なって、ハチという犬が、
命が尽きるまで主人に忠実に仕えたというイメージしか浮かばない。
そこがダメなのだ。作品が描いたのは、「犬畜生」の一途な忠義などという
のではない。この映画は人間にはなかなかまねのできない、決して報われる
ことがない愛を死ぬまで貫き通した犬の話なのだ。もちろん、生前の主人の
ハチへの愛があったればこその話だが、その愛を、信じ切って、帰らぬ主人を
それでも、毎日迎えに行く、豊かに深く愛された犬の姿は、泣かずには見てい
られない。やはり「忠犬」の「忠」ではない。
「愛」という言葉が最もふさわしいと、どうしても思うのだ・・。