クリスマスの夜

こういう日に 娘と息子と

二人の声を 電話の向こうに聞きました

今夜はクリスマス

主イエスの生誕の日

いつもどこか 嵐のような人生だったけれど

どうしてこうも 充足していたのかって

不思議になるほど 私は 

心から 深い思いの中で家族を愛し 

なんだか精いっぱい歩いてきてしまいました

でも 人は いつどんなふうになっても

こればかりはわからないので

やっぱり 折あるたびに

語っておこうと思います

私の遺書として・・・・

遺書は 常に 生きている今

語ってもいいのですから

それが人間の命なのですから

それは自然なっことなのですから

ああ そうなのかと思って聞いてください

といっても 私が話せることなど

何もなく ただ 家族へのあついあつい思いだけ

躓いているその時も

後ろめたいその時も

泣いているその時も

私が そんなときの家族に思うことは

こみ上げるほどの あつい思いです

生きていくとは 大変なことです

生きていくとは 苦しくて かなしくて

傷だらけになることです

でも 生きていることは喜びです

怒りの中にあっても 

それこそは 喜びを得んがためのものです

たとえば だから 横暴な権力に

煮えくり返るような怒りを覚えて

行動してきた私の根っこは 

力ないものの 喜びが踏みにじられるからだったのです

喜びこそは 神が 分け隔てなく人間にくれた贈り物

だから それを忘れないでください

子どもたちよ 私は なんだか今夜は

そのことがいいたくていいたくて 

眠る前に こうして筆を走らせてしまいました

私は 生きています

この地上から もう用は済んだから

天国へおいでと言われるまで

私は 静かに あつい思いを

いつだって 心に満たしながら

生きていけますよ・・・・

遺書なんて こうして生まれるものなのですから

どうか 静かに 私の言葉に聞き入ってください

神は 私に素敵な素敵な伴侶を与えてくださり

素敵な素敵な 子どもたちを与えてくださいました

久し振りに 本当に久しぶりに

神との交信です・・・・