嘘でも、でたらめでも、次々と発言してしまう。
しかも、公の場で、それが、国会であれ、新聞紙上であれ、SNSであれ、
まったくためらいがなく、嘘をつくという日本社会の現状。
まさか、そんなことを思ってはいないだろうと、
まさか、自分なりの確信がないことは語らないだろうなどと思っていると、
決して、そんなことはない。
人が何かを思うときは、確信などはどうでもいいことだし、
人が何かを語ろうとするときには、できる限り正確であろうとすることなど、
ほどんど不要なことなのだ。
こうしたことが、数多く起こってしまっている以上、
日本はもう崩壊の道をたどっているなと考えている。
人間の長い歴史は、数えきれないことの積み重ねの中で、
少しずつ、少しずつ、一歩一歩、その歩みを進めてきた。
その進歩の基礎となったのは、過ちを繰り返さないという意思。
過ちを繰り返していたら、人間が生きながらえることができなかったからだ。
過ちを繰り返さないためには、過ちがなんであったのかを、記憶にとどめること。
その作業が、歴史を、できるだけ正確に刻むということにつながっていく。
これは、人間が未来に向かって、生存を全うさせようとするとき、
不可欠のことなのだ。
原発事故による放射能汚染は、コントロールされているから大丈夫だと
国際社会に向けて発信して、オリンピック誘致をはかったのは安倍首相だった。
それが虚偽であることが分かっていても、ある人は黙認し、
別のある人は、最高権力者が言ったことは、すべて肯定すべしとばかりに、
その虚言を後押しした。
だが、私もその一人に他ならない。
総理大臣は、嘘つきなのだから、
今すぐにでも、権力の座から引き下ろすべきだと思いながら、
それができずにやり過ごしているうちに、
今はどうすることもできないなと、毎日の暮らしに追われていったからだ。
だが、こうしたやり過ごしの果てに、今がある。
総理大臣のみならず、荒唐無稽の嘘をつく人々が、
公の場で気炎を上げる光景が珍しくなくなった。
無知がゆえに、事実誤認の発言をする人、
本当のことを知っていながら、事実を曲げて嘘をつく人。
こうした人々が、次々に出没しているように見える現状の日本。
台風の後遺症が残って、すっきりとした天気にならない午後、
薄暗い空を眺めながら、もやもやと、そんなことを、考えていた。