頭は冴えているのですが、休みになった途端に
体調がよくありません。
なにかこう、体の中に沈んでいた澱のようなものが
ゆっくりと表に出てきて、それが、悪さをしている感じです。
でも、明日は出勤ですから、いつものように
うまく動き出すと思っています。
それにしても、申し訳ないほどに
いろいろ心配りをしてくれる家族です。
連れ合いが作ってくれる毎日の食事。
一日中働きながら、私や連れ合いに対して
優しい心遣いを欠く事がない息子。
人間などあまりに弱い。
それを日々実感し、それを日々認識している家族だからこそ、
互いに、支え合ってやっていけるということだと思っています。
生きるということは、どう死ぬかということ。
30半ばの息子は、毎日介護施設で働き、
期せずして、死ぬこと、生きることの意味を学んでいます。
やがて、私も連れ合いもその日を迎えます。
そういえば、永くお付き合いしている鍼灸医さんは、
92歳の父上と、88歳の母上の最期を一緒に看取る日々。
後、二日、三日とのことで、覚悟はできていますと、
今日、話しておられました。それを聞きながら、
さて、今年が始まると、想っているところです。