2月21日(日)夜中の一時過ぎ

現在までのところ、定時制の応募者がゼロということで、今後も音沙汰がなければ、最終的に入学者はゼロということになり、私は職場を追われることになるだろう。
そういうことになったら、さっさと別の道を探して生き抜いていこうとあらためて決心している。いつでもこういうことは起こり得ることだと思っていたが、結局、定時制高校にしかできない教育について、ほとんど関心のない管理職などに出会ってしまえば、応募者ゼロという結果は、実に正直なものだったのだ。
それにしても、昼間高校へ通い、大学進学なり、就職なりをしようとする若者を育てることが高等学校の本来の教育だと思っている人間が、何と多いことだろう。いや、多いどころかそれが日本の教育界の常識なのだ。
それを覆すような何物もない状況は、昨日今日のことではない。この現実について考察する価値はあると思っている。歴史的にいつの頃からなのか。いやいやついさっきまで安倍謹也さんの「世間」についての考察した面白い本を読んでいたせいで、いっそう、そんな事を考えてしまった。
もう、いいかなとどこかで拒否したいという思いが去来する。人はどう生きていくべきなのかを若者に伝えることができる教師でなくて、高校の教師が勤まってしまうという日本の現実に背を向けてしまいたいと思っているということだ。
あらためて、勉強したいなと思う。こうした問題について筋道を立てて語れる準備をしなくてはいけないと思っていることもあるが、自分自身のなお一層の理論武装が求められている時なのだと思っているからだ。