息子を応援するぞ・・。

 
 市役所の公文書館の事務補助員のアルバイトに応募して

 つい先日、面接を受け、不合格だった息子・・。

 パソコンもできるし、汚れ仕事も大丈夫

 面接官も、彼の職歴を見てくれてもいた模様。

 そこでの仕事は 想像できるものだった。

 なぜなら 私が、三年くらい前のことだが

 公文書館の審議委員だった時

 仕事の内容を 見学する機会を持っていたからだ。

 息子には、最適だなと思ってもいたから

 不合格の結論が出た時には

 むしろ 私が落胆してしまった。

 その上にだ。

 彼は、仕事に就けないことで、

 定時制高校の受験をしてみたいと思いつつ

 今年は諦めてしまったのだ。

 ただでさえ、仕事がないのに、定時制に通える時間帯の

 仕事なんか、選んでいる場合じゃないよねと、残念そうだった。

 息子は不登校で 高校を中退し、そののち通信制高校

 さらに大検を通ったが、大学には失敗し

 その後も 色々苦労して 今日に至っている。

 人間にとっての最上の美徳は「優しさ」だと

 かつて、そういったのは 連れ合いだった。

 さらに続けて、それを息子が持っていると

 しみじみ語っていたことを忘れない。

 その連れ合いも 息子の寛容さに何度救われたことか。

 私自身が 赦しがたいと息巻いてしまったときにも

 息子は、連れい合いへの優しいまなざしを決して失わずに

 私を諫めてくれたことは いくらもあった。

 これは神の贈り物だったと思う。

 だからこそ、いじめられて、不登校になったのだと思う。

 そして、もちろん、今に至って、

 その贈り物は にぶい光を失わずにいる。

 それにしても、この社会のレールで躓いたら

 ダメなのか・・。そんなはずがあるものかと思う。

 でも、現実は現実だ。

 この十年余り、この躓きの悪循環を目前にしつつ

 共に泣き笑いしながら 私も一緒に戦ってきた。

 この不条理に、異議申し立てできる現実が

 私自身の人生そのものだったから

 私は、権力と向き合う戦いの当事者の権利を失わない。

 そしてまた、こういう道のりを歩いてきてよかったと思う。

 それでなくては、私は何も見えなかったに違いないからだ。

 人間が好きで、人間らしく生きようとすれば、

 もちろん、人も自分も、そうあって、

 互いに生き合おうとすれば、

 こうしか生きていかれないと思う。

 息子よ、 ごめん・・。

 でも、毎日、君の優しさに、ほっとしながら

 君との道のりを 心静かに振り返ることができているんだ。