一つの想定、向き合うということ・・・

これを思うようになったのは

それほど昔のことではない。

自分と向き合う相手の姿が

見えていない自分に気がついたのだ。

見えていないというのは

相手をありのままにその通りに捉えず

少し、いやだいぶ、ずれた画像のまま

捉えていたということなのだ。

そういう時は決まって、相手は良い状態ではいられない。

自分の姿が、私に見とめられないというのだから

「良い状態」になど、なりえないに決まっている。

でも、ある時、私の目に相手のありのままの画像が映る。

そのきっかけはいろいろだが、その瞬間の心持は

幾度も経験がある。

そのたびに、私の中に不思議な安ど感が訪れる。

相手を見とめるということ、相手を受け止めるということ

無条件で、あるいは 限りなくあたたかく

あなたを ずっと見守っているからと

声にならない声で、呟いている自分を意識する。

多分、ほとんどの人間の関係は

相手を ありのままに 捉えあえたら、

そのことの後に 受け止め合い、支えあえたら

もっとみんな のびのびとして 生きていけるに違いない。

「愛」っていうのは そういうことのような気がしてしまう。