(久しぶり 一人部屋で)

ここしばらく 暖房費節約もあって
二人で 一部屋にいました
それはそれで あったかい思いもしたけど
今日は 冷たい雨だったし
どう生きようかって 問いかけにも
答えてもらえなかったから
一緒に 鍋をつついた後は
一人になって 原稿を打ち続けていました
全部 自分がしてきたことですから
今さら もちろん人のせいなんかにはしませんが
でも やっぱり どう生きたらいいのか
どう 暮らしていけるのか しっかりと考えたい
実際の所 この国への反抗もあって
年金なんか 無視しきって生きてきたし
あくまでも 創造的な生き方を実践しようと
基本的には この社会の
どこにも所属せずに 生きてきたのですから
それならそれで 明るく 楽しくやっていきたいなって
そういうふうに 思って 
ここ何年くらいか
どっか すごく吹っ切れてしまっていました
でも一方で 具体的なことになると
相方は 年々 ますます 心が重たくなって
語り合いは 無言のうちに拒否されてしまいます
私 こんな夜更けにまたなってしまったけど
やっぱり ありとあらゆる可能性を考えて
名もなき 貧乏な老夫婦の行く末を
模索してゆきますから・・・
死んでゆくその時まで 
糧を得ることができるように
ここのところ 明らかにそれを念頭に置いて
「ひとりごと」をつぶやいている私です
「おばあさんエッセイスト」はなるかですが
今時 文章力が あるとかないとかじゃなくて
かなりいい加減な文章が 糧につながるという現実も
私には ほんのちょっとありがたいかなって思います
ともかく 私は 
悲惨な老後が待っているに違いない老夫婦の
防波堤になるしかないのです
それも でも私には
似つかわしいことかなと思います
だって 私はどう考えても 
相方が大切なのですから
これまで 一緒に永い間を歩いてきて
そこからすべてが始まっているのですから
相方の悲しみも 喜びも
二人の歴史の果てにあることは間違いありません
それに 寄り添えることは 
実は 私の人間観と深く関わる行為なのです
冷たい風の中にたたずむ人がいたら
私には そこを通り過ぎることはできそうにありません
まして 私の最も傍に生きていてくれる相方ならば
なおの事なのですから・・・・