言葉をつなぐことは

はたして できることなのだろうか

そんなことを 思い始めている

若者たちと一緒に勉強する仕事をしながら

言葉は きっとつなげると思ってきた

言葉をつないでいくことで

そればかりか 私自身が 

言葉の本質的な意味を再認識して

私自身の思索が もっと深まっていくはずだと

そんなふうにさえ 思ってきた

でも 違うのかもしれないと 近頃 考える

言葉をつなぐには まず 咬みあわなくてはいけない

その咬み合いが できなくなっているなと思う

おそらくそれは すでに蓄えられているはずの言葉が

若者の側に あまりに少なすぎるからではないか

人が言葉を理解するには

まず その言葉を 受け止める器がいる

器は その人の歴史が編んでくれたもので

心の成長を育む 唯一の核に等しい

器の素材が その人の歴史であるがゆえに

100人には100人の固有の器があるのだ

未発達な器には それ以上の言葉を

受け取ることは難しい

それは わかりやすい理屈だと思うが

心が 晴れない感じはあるな