(長崎原爆投下の日)

命があって、初めていろんなものが生まれます。人間の社会も、政治も、文化も、人間の営みのありとあらゆることが、初めて可能になるのですから・・。

 だから、すべてのことは人間の命があって、命が脅かされなくて初めて、生まれ、育まれ、大きくなって、次の世代に継承されていくはずなのです。

 でも、人間は原爆を作りました。原爆を投下して一瞬にして数えきれないほどの人々を殺害しました。三日前には広島で、今日は長崎で、1945年の8月6日と、8月9日に原爆は炸裂しました。

 なぜだ・・と思います。戦争だったから仕方がなかったと、そんな言葉を聞きますが、それを無残に殺された人々に、語れるはずがありません。

 だから、とりあえずは、「過ちは繰り返さない」と、誓いをたてたはずだったのです。でも、世界には相変わらず、核兵器を誇示する国々が数多くあります。

 難しいことじゃない。命が脅かされずに、命が失われずに、人間の世界は、あらゆる生物が生きる世界は、次の世代につながってゆく。もし、その方向に歩こうとするなら、選択の余地はありません。核を持たない地球を作るしかないのです。

 今日は、長崎に原爆が投下されて66年目です。想像もつかない悲惨な状況の中を、水を求めてさまよった人々が無数にいたと、あの日を知っている人々が語っています。

 それにしても、今、私たちは、あの原爆で亡くなった人々のことを、本当のところ、心から悼むことができないのではないか。その根本には、私たち自身の、あまりにも貧しい想像力があるような気がしてなりません。

 それが、現実のものとなって、3月の福島の原発事故以来、この国自体の愚かな迷走につながっているのだと思えるのです。