春はやって来る

 今、ほぼ午後の三時半、朝から、事前に予約していた胃カメラの検査を受けに地元のクリニックへ行った。行きも帰りもK君が車で送迎してくれ、帰りには二人の昼ご飯を買いに、スーパーに寄った。何ともゆったりした平和な日常だ。 

 胃カメラの検査結果は異常は見つからない、さらに、前回やってもらった血液検査の結果の方も、全く心配なしという結果だった。まずまず、ここまでは良しということだ。今後は、すでに予約済みの腹部のエコーと、あらたに子宮癌検診を受けることにしよう。 

 健康診断をやろうと思い立って以後、思いつく検査を次々重ねて、やり過ぎではないかとさえ思うが、大したことではない。医療費がかさむなとは思うけれど、とりあえず、向こう一年は生き抜けそうだと、わずかながら自信のようなものが持てれば、自分の人生を、どうやって終えるのかを考えたり、行動したりすることに、多少は余裕が持てるではないか。 

  ところで、もうずいぶん前から、私は自分の力を「過信」することがなくなった。もっとも、自分を「過信」することが、これまであったのかと言えば、常に自分のエネルギーを全開させて、怒り、悲しみ、行動していた若かった頃、そんな自分のパワーを土台にして、いつかきっと飛躍することができると思ったことは何度もある。  

  だが既に私は老人である。無理に自分を老け込ませようとはしないが、私も、連れ合いのK君も、十年も共に生きてきた愛猫「チビスケ」も、その他、私の周りのいく人もの友人達も、確実に老いて変化しているのに、私は気づこうとしていなかったと思う。 

  人も動物も間違いなく老いていく。そういう中で、死んでいくまでの残された時間を、どう生きるのかということを真剣に考えてみると、今だから思いつくこと、今だから行動できそうなことがいくつもあることに気づいたのである。

 年をとっても、パワフルな自分は本来の自分である。その土台の上に老人としての、人としての自分が、できることがいくつもあるじゃないかと、そんなふうに思ったのである。私の内側で静かにエネルギーが充填されていく。そうして、ゆっくりと心が落ち着きを取り戻していくというのは不思議な感覚である。(3月18日)

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