天皇について思うこと

もう夜の九時を過ぎて、室温が下がって、寒くなりました。

私の膝の上には、猫のチビスケが座っています。

寒くなって、人間の膝が恋しくなったのでしょう。

秋が深まって、時々、私の膝はチビスケに占拠されます。

さて、明日は、新天皇即位式があります。

天皇ナルヒト、

彼が学習院の幼稚園に通っていた頃に描いた絵について、

昔、私の姉が話題にしたことがありました。

姉は、私より11歳年上で、幼稚園の教師をしていました。

その姉が、幼稚園教師の研修会か何かで、

学習院の幼稚園の子どもたちの絵を見る機会があって、

その中にナルヒトの絵があったのです。

その時の姉の評価によれば、ナルヒトの絵は、

決してうまいといえるものではなかったようです。

まあ、そんなことはつまらない話ですが、

結論から言えば、私は、天皇即位式などを祝う気持ちなど

毛頭ありません。

私は、天皇制を廃止すべきだという考えの持ち主です。

30数年前、裕仁が死に、続いて明仁皇位を継いだ、あの頃のことを思い出します。

報道が、重篤裕仁の容態を、私達に伝えました。

テレビ画面には、裕仁が下血したとかしないとか、そんなことが、

絶え間なく、流された続けました。

高齢と末期の癌患者だった裕仁には、毎日、大量の輸血がされていました。

そういう状況だった、死に瀕していた裕仁について、

その当時、私が深い信頼を寄せていたOさんは言いました。

「アジア太平洋戦争で、数えきれない人々の血を流させ、その上さらに、

自分の死に臨んで、新たな血を求め続けているわけだ」と。

私は、戦後生まれで、人間は皆平等、互いを認め合いながら、

自由に生きることができると、物心がついた頃から、信じて疑いませんでした。

その思いは、今に至っても、正しいと確信しています。

しかし現実は、それとはまったく反して、

雲の上の人間としての天皇が、存在しています。

日本国憲法のどこを探しても、出自によって、

高貴な人間が存在するなどということは、書かれてはいません。

そのことを信して、30年余り前、私は、天皇制廃止の意思を、

様々な行動にあらわし、表明してきました。

人の命は、みな同じ重さ、人の存在は、まぎれもなく等価であるもの。

そのことを、改めて思い起こし、現天皇即位式に反対します。

皇室の神事の極みである大嘗祭に反対します。